まだ、生きるよ。

現と夢の狭間で育児の日々。いつかの日まで。

夜明けの喧騒

こんばんは、もう朝の6:30ですけれど。

 

眠れずにブログの設定をしていたら、いつの間にやらこんな時間になってしまった。数年ぶりにHTMLやらCSSやらJavaなんかをいじっていたら懐かしくなってしまったよ。

 

 

 

連日ここに綴りに来ているということは私のメンタルが不調で躁過ぎず、鬱過ぎずの今なんだろうと思う。

出産して育児に追われて環境の変化もありつつ数年が経ったのに結局、精神は病んだまま。

幸せなはずなのにな、実両親も亡くなって自由なはずなのにな。あと何があれば、何をすれば、私は昔の健康な私に戻れるのだろう。

一度壊れてしまった心は治らないのかもしれない。

一生、寄り添って向き合って生きていくしかないのかもしれない。

死んでしまったら終わってしまうのと同じように、

病むほどの無理だけはしてはいけない、一生が台無しになる。健康を失うことは取り返しがつかないということを若いうちに心身を以て知ることになるとは。

 

 

 

美しくも、可愛くもない人生。

ご無沙汰しております。

まだぎりぎり生きているよ。

 

もはや化石とかしているブログ。

vlogが流行る世の中に逆行しているのかな、という気づきを横に、それでも綴りたいのだもの仕方ないじゃない。YouTubeをやってみようかな、と準備してみたり、ラジオ配信なら手軽に始められそうと手を出してみたものの、陰キャかまってちゃんの私にはハードルが高いのでした。

このブログの内容もバラバラで、設定もきちんと出来ていないまま支離滅裂でいつまで続けるのかな…。

今はまだふらふらゆっくりにしていたい気分。

なんだろう…、自分の中に忍び寄る恐怖と毎日じりじりと闘っている状態。

 

 

 

あまり詳しくは書きたくないのだけれど、随分前に、息子が自分の意思で楽器を始めた。

私も楽器をやっていたから嬉しいけれど、つらい。大好きな音楽、楽器、幸せな時間もたくさんあった。それ故に今は、とてもつらくて、苦しくて、かなしい。

でもそれでも前を向いて抱えて、生きていかなきゃいけないのかもしれないね。

息子と、あの頃の幼い私を連れて。

 

 

 

捨てられたままの、痩せ姫スイッチ

息子の妊娠が発覚した時、160cm/40kg/BMI17だった。

痩せることだけがひとまずの目標だったから、物凄く努力して手に入れた。人生で何度目かの、実感がある成果。妊娠発覚後も太りたくなくて当然意識はしていた。妊娠中はとにかく体重を増やして欲しいと言われ、32週のとき胎児が小さ過ぎるとの事で入院が延長になった。産後すぐに測定したら46kg。その時、「えっまじ緊急入院になってずっと堕落した生活をしてたからすぐに戻さないとやばいじゃん!」「こんな私死ねばいい、消えたいまじデブ」とずっとずっと思っていた。

妊娠の経緯も、相手との関係性も、実家のことも何もかも問題が山積していた。俗に言う、不倫。でも私には単なる不倫ではなかった。初めて好きになった人ではないけれど、初めてお付き合いした人。一緒にいて心から安らげる初めての人。だから私には、彼しかいなかった。私は彼との子供を望み、嘘かもしれなかったけど彼もまた同じ望みだった。彼と私と子供と3人で暮らす、子供は2人か3人欲しいってそんなことを2人で想像しては話をしてた。妊娠中はつわりなんか感じる暇もないくらいに色々なことが目まぐるしく起こって、胎児の心配なんかする心の余裕はなかった。代わりにいつも頭の中にあったのは、体重と彼のこと。帝王切開だった私は腹部の痛みと、彼のこと、体重のことで頭がいっぱいで、肝心の子供のケアなんてことは微塵も頭になかった。問題は全て未解決のまま、彼との関係も変わらず、それでもなんとか時は流れた。

息子が1歳になった頃、発達に問題があると感じ始め、私のストレスが半端なかった。

他にもストレス要因はいっぱいあったけれど、それはまたいつか書こうと思う。ともかく、想像し難い様々な方面からのストレスが幾重にも重なって、ある日を境についに過食に転じ、過食非嘔吐から抜けられなくなった。それまで念入りに行ってきた、運動・マッサージ・食事管理等、その他全てがどうでも良くなってしまった。

それまで、母になっても女としての自分も大事にしたい、綺麗な可愛いママになろうと思っていた。だけど彼の口から告げられたある出来事により、私の中の何かが崩れた気がした。彼との関係は以前よりずっと深くなりあの頃よりもずっとずっと幸せになったけど、あの日から何年経ったかな、未だに私のダイエットやる気スイッチは見当たらない。

兎にも角にも、ストレスが酷かった。いや、今も酷いかな。そんなこんなで、結局は68kgまで太ってしまうのだけれど。

当時の私を知る彼は、40kgの私より68kgの私の方が好きだと言う。懐疑心だらけの私は毎日毎日訊くけれど、それでもガリガリよりは太っている方が良いと言う。今は少し落ち着いてきて65kg以下を維持出来ていると思う。40kgに戻りたい痩せ姫はまだ私の中にいるけれど、否定しないで健康な私を目指しながら共存していけばいいのかもしれないとつい最近、思い始めた。

なんでこんなことを書こうと思い立ったのか、インスタに書くには長く重すぎるし、吐き出す場所がなかった。眠れない夜に書くと少し落ち着ける。ありがとう。

 

 

陽の当たる世界は、美しく苦しい

こんばんは、ご無沙汰です。

最後に更新してからどれくらいの時間が経っただろう、と思い返してみて時の流れを感じる。 

 

近況報告を少し。誰得かわからないけど、自分のためにも。

息子は無事、幼稚園お受験も合格、小学校受験も合格して、この春から小学生になった。

お受験と言っても内部進学もあったから、なんとかなったようなもの。おそらく、3歳児健診で言われた内容は大きく外れていないんだろう。

色んな努力を重ねて進学した学校を夏休みを前にした今、転校せざるを得ない状態になっている。

 

今どき流行りもしないブログに、ただの人間の日常の一コマを書き綴って何になるのかわからないけど、ないよりはマシなのかもしれない。

腕を切りたくてたまらなくなった私の行き着く先は、インスタでもTwitterでもなくて、やっぱりブログだったよ。この静かな場所が安心するんだ。時代の変化はここ数年で加速して、ネットが当たり前になって、一昔前のような環境ではなくなったけど、私はやっぱり好きだな。

 

彼との子を望み、授かり、産まれて、一緒に生きていてわかったことがある。

私は母親には向かない人間であったこと。

子どもを持つ人生が正解だったのか、不正解だったのか、おそらく不正解だった。産んだ以上は義務と責任がある。

殺めてしまっては意味がないが、殺めてしまいそうになる一歩手前までは、息子が望んでくれるのならば、私も満身創痍で自分の元で育てたい。

ℳℯ

𝒫𝓇ℴ𝒻𝒾𝓁ℯ
30代前半の専業主婦、一児の母。
ASD・ADHD・HSP・PMS・PMDD・双極性障害・摂食障害・買い物依存症・精神障害者手帳2級・障害年金2級。


私のことなど皆、軽蔑すればいい。
どう思われたっていい。
結局、私は私がいいと思ったようにしか選べない、
生きられない。
愛しい彼と息子と生きてる。
あともうちょっとだけ、人生がんばる。