まだ、生きるよ。

過食と育児の日々。いつかの日まで。

砂の家族

こんばんは。



今日は父と子どもとお正月のお墓参りへ。
父は母が闘病中から体調を崩して大病をし、助からない回復は厳しいと言われた状態から見事に回復して今に至る。



正直に言って、昔から父は苦手だった。
私の中で、父が優しかった記憶は2歳まで。
簡単には言い表せないのだが、とにかく近くにいるだけで緊張する。
細かいことはいつか書くとして、母が先に亡くなったので父とは関わらざるを得なくなった。
そんな父も九死に一生を経て、年も取り、ほんの僅かながら丸くなったように思う。
でもそれがまだ私の実感としても浅く、時限爆弾や地雷のように感じてしまい、

二十数年かけて形成された、いい娘を演じ続けなければならない

と、どうしても思ってしまう。
考えるより先に仮面をつけたり外したりするように心身が反応して自己防衛してしまう。


私は父とよく似ている。
それは嫌と言うほど自覚している。

父の気持ちがわからなくもない

と思えてしまうときは度々あるから簡単には切り捨てられないし、父に対して無慈悲にもなれない。
その狭間で揺れるのがひどくつらく、苦しくなるときがある。
穏やかなときの父を見ると、自分の親不孝っぷりに申し訳なくなる。

普通の家庭だったじゃん
普通の両親だったじゃん
私が弱すぎた、過剰反応しすぎた、堪えられなかった、頑張れなかった
父母をを知らなさすぎただけ
私、こんなに愛されて大事にされて育ったのになんで病んだの
毒親とか思って、ごめんなさい
私が悪いんだ

そんなふうに自分ばかりに非があったのではないかと思えてしまう。



いい娘、孫に対するいい母親として父と接すると、とても穏やかで優しい父娘の時間が流れる。
これがあの頃欲しかった父親というものに近いな、って涙が出てくる。
ありのままの私を見て納得して愛してくれたのなら一緒に暮らせたのかな。
一緒にいたら病むの。
演じなければ一緒にいられない。
演じれば病む、寛解が遠くなる。
ママっ子だったけれど、あまり心の内は本音は話さなかったからな。
親子関係、拗らせたままです。
とにかく、今日は穏やかにやり過ごせた。
それだけでひと安心なの。
子どもも空気読んだのかな、よく頑張ってくれた。
とにかく疲れた、食べた物の味もよく覚えていない。
いい子は、疲れたよ。